2020年10月8日 星期四

無圍牆博物館


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2020/10/08 第283期 訂閱/退訂看歷史報份TAEPEI
台北пみФみяЗтшみЖヤу: 5コソ「生わギ博物館」-新旧、現代シ伝統、様ぼス要素ゎ調和ウ共存エペ場所
 
 
台北пみФみяЗтшみЖヤу: 5コソ「生わギ博物館」-新旧、現代シ伝統、様ぼス要素ゎ調和ウ共存エペ場所
文/Taipei
文 /Rick Charette 編集 / 下山敬之

写真 / Taiwan Scene、Toppy Baker、 北投温泉博物館、 Richie Chan、 艋舺青山宮、 台北当代芸術館

台北は初めて来た方でもわかるほど、古いものと新しいもの、現代と伝統といった要素が混じり合った場所で す。台湾の中でも特に台北の人たちは、外の世界に対する受容性が高いことで知られていますが、同時に自分たちの歴史に強い誇りも持っており、ここ数十年にわたり、先祖代々受け継がれてきた文化遺産の保存と普及に取り組んできました。台北の街中を歩くと、高く近代的なビル群の中に、丁寧にリノベーションされた建築遺産が並んでいる光景を目にします。

これまで何度も建築遺産保存のための取り組みを実施してきた台北市ですが、今回は「台北ボーダーレスミュージアム」(台北無囲墻博物館)というキャンペーンを企画しました。これは、街全体をひとつの「生きた博物館」としてとらえるという試みで、人文科学や現地の人の生活、物的資源、そして歴史を組み合わせることで、巨大な観光地を作り上げました。

台北の中でも歴史的に重要な5つの地域を会場として選出しており、それぞれが「垣根のない生きた博物館」として独特の外観、スタイル、ストーリーを有しています。これらの地域が一体となることで新しい文化探求のための地図が完成しましたので、自身の興味に合わせて地域単体を探索してみたり、全地域を巡るなど自由にお楽しみください。具体的な場所は、北から順に北投温泉、大稲埕、万華艋舺、城北廊帯、城南台大となっていて、台北における文化的な多様性、新と旧、伝統と現代的な要素の調和、共存している姿を広く知らせることが目的となっています。

ここでは、各地域の特徴を簡単に紹介していきます。

北投温泉:建築、歴史、温泉

北投(ベイトウ)は温泉リゾート地で、台湾で初めて開発されたレジャー地域です。

1890年代後半から日本人による開発が進められ、かつては台北の中心部から特別 な鉄道路線が引かれていました。現在では、古い建物とスタイリッシュな新しい建物が 混在する場所となっています。

この地域の中心は、陽明山(ヤンミンシャン)の麓にある長く狭い谷で、付近には北投公園が広がっています。かつての谷の入口近くに設置されていた鉄道路線は、独特な外観のMRT新北投駅へと変わり、今に至るまで北投の貴重な温泉文化を普及する一翼を担っています。新北投駅の屋根はインペリアルイエローを基調とした中国宮殿風の造りで、正面には温泉公園に向かって古風なアーケードが続いています。

駅の横にある七星)公園(チーシンゴンユェンには、かつての日本風の木造駅舎が再建されています。1916年に建てられたこの駅は、復 元にあたり元の建物で使われていた資材の70%を利用し、1930年の拡張工事に使用された設計図を参考に造られました。寸法と外観は元のものと同じで、最大の特徴である木造の外装、銅製の屋根瓦、飾り彫りが施された軒、丸型の屋根窓は当時のまま復元されています。この建物には現在、北投の歴史を紹介するギャラリーや、北投をテーマとした商品を販売するおみやげ屋さんがあります。

北投公園内はひときわ目を引く台北市立図書館北投分館があり、外観は小さな森の中に置かれた巨大な箱船のようです。受賞歴もあるこの建物はエコな図書館としても有名で、電力は屋上のソーラーパネルを使用し、屋上の緑化によって屋内は涼しく保たれ、屋根の排水システムから雨水を貯留して植物への給水やトイレの水洗などに活用されています。周囲の木陰のおかげで、直射日光が入ることはなく、バルコニーで読書を楽しむこともできます。心穏やかにリラックスして森林浴が楽しめる空間を提供するという内容が全体的なコンセプトです。

図書館の近くには赤レンガ、塗装した板、白い化粧しっくいで彩られた北投温泉博物館があります。元々は1913年に日本人によっ て開かれた台湾最初の公共浴場で、東アジア最大の公共温泉浴場です。デザインは日本 の伊豆山温泉を参考としていて、屋内にはロマネスク様式のプールと柱、畳敷きの大き な休憩室がある他、数多くの工芸品や北投の歴史に関する展示もあります。

天狗庵は台湾最初の温泉旅館で、大阪の事業者により1896年に開かれました。

ここは、北投が温泉リゾート地として栄えた原点で、日本統治時代には湯治目的で病院も建てられていました。第二次世界大戦中には数多くの兵士がこの病院に送られていたことから、戦後すぐに軍人家族のコミュニティが形成されました。このコミュニティは天狗庵から10分ほどの一帯に定着し、現在の「中心新村」となっています。この村は1949年から現在まで良 好な状態で保存されているので、当時の軍人家族の生活などが垣間見れます。

大稲埕:地方産業と貿易

大稲埕(ダーダオチェン)は、有形遺産が最も多く存在する地域です。大同区の淡水河に沿って広がるこの地域は、中心地の迪化街付近に歴史的建造物が数多く並んでます。

19世紀後半から20世紀半ばにかけて、大稲埕は台北盆地の商業の中心地でした。1853年、台北の最も古い集落である艋舺で起きた紛争を避けるために、漢人が大 稲埕に移住しました。淡水港が開港した後は、西洋の貿易会社の進出が進み、大稲埕は乾)物(地域特産品「南北貨」、茶、漢方薬、織物など各産業の貿易拠点となりました。数多くの中国人商人によって西洋風の建築が模倣され、さらに1895年に日本が台湾を統治すると、ネオバロック様式などの西洋様式が使われるようになり、大稲埕は西洋文化の玄関口として有名になりました。

現在)の迪化街(ディーホァジエには、玄関がネオバロック様式で造られた建物が多く見られますが、この様式は大正時代に人気でした。注意して見ると、入口の上には元の店名が彫られていることがわかります。また、建物が密集して並んでいたことから、移動手段がほぼ徒歩だけの当時でも、複数のお店を回ることができました。この土地に根を張った人たちは、通り沿いで商売を営み、裏側を住居として生活していました。迪化街は台北で最も古い商店街であり、また地域の中心でもあることから老舗の店や文化創造を行う新しいお店が数多くあります。大稲埕では古い建物の大半がリノベーションによってバーやカフェ、おしれなレストランなどに変化しているので、観光客には非常に魅力的な街です。

大稲埕の発展は、お茶産業によって成されたと言っても過言ではなく、かつては茶の加工工場と裕福な商人の西洋風邸宅が立ち並んでいました。生の茶葉が台北盆地の丘から運ばれ、この地を経由して加工品が世界中に出荷されました。

現在はこのような工場はなく、かつてのお茶屋の多くが、台湾の茶文化を紹介する「生きた博物館」となっています。そのひとつに「新芳春茶行(シンファンチュンチャーハン」があり、開業は1934年、玄関がネオバロック様式で造られた3階建ての建物です。現在では、店舗、博物館、文化教育センターと様々な用途で利用されているので、台湾のお茶貿易について学ぶ、お茶を買う、茶葉の加工室や特別展の見学など様々な体験をしてみましょう。

他にも漢方薬の問屋や小売店も200軒ほどありますが、その多くは台北市の店舗再生プロジェクトに参加して、店舗の正面や内装に装飾を施しています。ここ数十年、台湾の人々は伝統的な漢方薬よりダイエットによる健康維持を行っていますが、大稲埕の老舗店は漢方薬が入ったティーバッグを小分けにして販売するなど魅力的な商品を販売して、漢方を再び普及させる試みを行っています。

艋舺:地元に住む人々の生活

台北で最も古い集落である艋舺/万華(モンジャー/ワンホァ)は、1700 年代前半に形成されました。艋舺は新店渓(シンディエンシー)、大漢渓(ダーハンシー)という2つの川が合流し、淡水河へと変わる境目に位置することから、かつては台北盆地の貿易拠点として栄えました。

物資が河を経由して沿岸部の淡水港へと運ばれ、そこで大型の船に積み替えられてさらに遠方へと送られていました。その後、艋舺の港が浅くなってしまったことなどを理由に商業の中心地は大稲埕へと移り、艋舺は長く停滞の時期に入ります。そこから抜け出したのは、地元の人々が昔からの伝統文化に誇りを持ったことがきっかけで、以降は台北の宗教文化や食の伝統に触れられる場所として有名になりました。

艋舺龍山寺はこの地域の象徴であり、歴史においてもこの上なく重要な場所です。また、台北で最も来訪者数の多い寺院でもあり、中国式寺院建築としても世界最高水準です。この寺院の東側には、「青草巷(西昌街224巷)」があり、短く狭い路地の中に強壮剤や軟膏、薬用食品に使用される伝統的な薬草の販売店が立ち並んでいます。薬草は古くから病気の予防や治療に用いられるなど、伝統的な日常生活には欠かせない存在であり、薬草のお店

は医療上のアドバイスをしてくれる場所として信頼を集めてきました。

この寺院から徒歩5分の場所に、剝皮寮(ボーピーリャオ)という歴史的なエリアがあります。ここは清朝(1636年~1912年)の町並みが残っていて、伝統的なレンガ造りの家屋が列に並んでいます。これらの建物は2階建てで、1階にはアーケードがあるなど、清朝時代と日本統治時代には非常に重要な商業地域でした。現在では地域の教育を目的とした展示場として利用されています。

龍山寺の西側にある西園路一段は「仏具街」として知られ、寺院、神社、家庭で使う礼拝用の像や道具を販売するお店が立ち並ぶ他、珍しい土産物を求めて海外からの観光客が多く訪れる場所でもあります。家庭や家族、地域の守護を祈ることは、現地に住む人たちの日常生活には欠かせない要素であり、信仰によって安心を得ています。

1856年に建てられた艋舺青山宮は、美しい彫刻の施された梁や壁画が有名な寺院で、ここでは艋舺最大の行事である「青山王祭典」が開催されます。3日間続くこの祭典には神々を乗せた神輿とそれに続いて人々が街を練り歩くなど地域総出で参加します。

この他にも、伝統的な食文化が艋舺最大の夜市である「華西街観光夜市」に数多く残されています。中国では信者が絶え間なく訪れる寺院の周囲に市場ができると言われていますが、この夜市は多くの参拝客で賑わう龍山寺のすぐ西にあります。行列ができるお店も多く、排骨スープや紅焼肉という豚肉を揚げた料理、イカの入ったとろみスープの花枝羹などが人気です。

城北廊帯:文化と芸術

城北廊帯は日本統治時代に形成され、日本人の役人の住居が数多く建てられました。現在では、MRT双連駅からMRT(中山駅にかけて心中山線(シンジョンシャンシエンシン)公園が南北に伸びています。この細長いエリアは、かつて鉄道の線路が敷かれていた場所で、現在は文化芸術に関する特別展やフリーのデザイナーたちによる作品フェアが開催されており、週末にはフードトラックも並びます。公園の地下には長い書店街「Eslite 79 (誠品R79)」があり、デザイン関連の書籍が城北廊帯に芸術的な彩りを添えています。

かつての城北廊帯は伝統を伝える場所として、日本統治時代の建造物を拠点とする台北当代芸術館(MOCA)と蔡瑞月(ツァイルイユエ)舞踏研究社が大きな役割を果たしていました。現在ではこの一帯にクリエイティブなお店や書店が増えています。

台北当代芸術館は2階建ての赤レンガ造りの建物で、元々は1919年に日本人児童のために建てられた小学校でした。この建築はヴィクトリア様式とエドワード様式を組み合わせたもので、屋根の中央には鐘楼があり、見た目も非常に美しい名所となっています。後に改築され、台湾初の現代美術専門美術館として2001年に開館しました。この美術館では美術、デザイン、建築のさまざまなテーマを扱っていますが、常設展示はありません。

蔡瑞月舞踏研究社は、日本統治時代の役人寮であった建物を利用していました。この建物は木造の2棟建てで、よく手入れされた芝生と緑地の中央にあり、後に「台湾の現代舞踊の母」と呼ばれる蔡瑞月が自宅、教室、スタジオとして利用しました。現在は、一部がおしゃれなオープンテラス付きのカフェへと姿を変えています。

付近には、かつて在中華民国アメリカ大使官邸として使われ、リチャード‧ニクソンが副大統領時代に滞在していたことで有名な「台北之家」があります。戦前の美しいアメリカ様式で彩られたこの白い外装の邸宅は映画館として利用されていて、クリエイティブな交流ができる場所でもあります。かつての車庫を88席のアートシアターとしている他、併設されている「Café Lumière」(珈琲時光)やバー「Le Ballon Rouge」(紅気球)では、有名な映画にちなんで名付けられた飲み物が楽しめます。また、ブティックショップの「SPOT Design」(光点生活)では、ハンドメイドのオリジナルグッズや、世界中から取り寄せた最高のデザイングッズなどが販売されています。

活気あふれる場所が好きな人には、かつて「打鉄街」と呼ばれた赤峰街(ツーフォンジエ)がおすすめです。色鮮やかなグラフィティアートやインスタレーションアートが路地に彩りを添えている場所で、若い起業家のグループが、古い商業施設に拠点を構え、スタイリッシュな書店、カフェ、ベーカリー、ワークショップなどのクリエイティブな取り組みを進めています。また。おしゃれで新しい精神以外にも、伝統的な建築美も積極的に活用されています。

城南台大:知識と教育

「城南台大」とは、国立台湾大学のキャンパスと、その南、南西、西の一帯を指しま

す。その中心は台湾の各民族が散らばってコミュニティが形成された羅斯福路、汀州路、温州街例です。台湾は時代と共に異なる民族の集落やコミュニティを融合してきましたが、この地域はその例の1つです。

また、この地域は日本統治時代の都市の近代化の実例とも言える場所であり、高等教

育施設を中心として構成された、モデル教育や学生教育の拠点でもあります。こうした背景から城南台大は高度な文化遺産となっています。

国立台湾大学と国立台湾師範大学は、台湾でも最高水準の高等教育機関のひとつで

す。両校は日本人によって設立され、その後は後に台湾のリーダーとなる人材を多数輩出してきました。また、台湾の民主化運動における抗議活動など中心には、常に両校の卒業生たちがいました。

城南台大は高等教育のための小規模なエリアですが、知識と教育に力を入れていることもあり、書店や学生向けカフェ、図書閲覧室の数が極めて多いです。「公館商圏」は、さまざまなインディペンデント書店が立ち並ぶ魅力的な一画で、代表例にインディペンデント書店、インディー系のレコードショップ、カフェを運営する「Kafka by the Sea」(海辺的卡夫卡)があります。また、他にも芸術系のイベントやアンプラグドのライブ、展覧会が定期的に開催されている場所です。また、公館商圏からほど近い牯嶺街は古本屋街で、文学愛好家が読書や執筆、コーヒーを楽しむために訪れる静かなスポット「紀州庵(ジージョウアン)文学森林」があります。このお店は、日本統治時代に料亭として使われていた和風木造建築が並ぶエリアの中央にあります。

城南地域へ入植してきた人たちの中には、客家(ハッカ)の一団もいました。客家は漢民族から分かれた民族で、台湾では2番目に多い民族です。客家は質素倹約、強固で深い家族の結束、誠実さを基本としたビジネス感覚が特徴で、独自の言語や習慣をもち、宗教、音楽、食べ物、建築様式などにおいて独自の文化を築き上げてきました。城南台大には広大な「台北市客家文化主題公園」があり、客家の村にあった伝統的な水車が展示されています。

この他に、台湾にはかつておよそ900の「眷村」がありました。シンプルなセメント造りの建物が集まった集落で、その多くは都市の中央にあり、1940年代に国民党が中国本土から台湾に移転した際に軍人の家族が移り住みました。「宝蔵巌」は新店渓を見下ろす丘の上に広がる、簡素な造りの建物が並ぶ村でしたが、今では自由な空気に満ちた「宝蔵巌国際芸術村」へと姿を変え、数多くのパブリックアート、アートスタジオ、展示スペースが並んでいます。地域の中心部にはまだ住民が暮らしていますが、芸術村はこの地域社会の活性化を促す役割も果たしています。

今回紹介した5つの地域はどれも個性的で、文化や歴史などを探求するのに非常に適した場所となっていますので、ぜひこのビッグイベントをお楽しみください。

 
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